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2009年3月30日 (月)

~京都御苑の中に神社があるってご存知でしたか?~ちょっと京都を歩いてきました(2)京都御苑(後編)

今日は、先日のブログで書いた京都御苑を訪れた時の中の様子の続きを書いていきたいと思います。

では、早速・・・

(ちなみに前回のブログでは京都御苑の西半分をご紹介しましたが、今回は残りの東半分のご紹介になります)

*厳島神社~堺町御門~仙洞御所~凝華洞跡

前回の最後にご紹介した宗像神社から少し南へ下り左(東)へ曲がると、林が見え、さらに進むと小さな橋が見えてくる。Photo

(画像・厳島神社へ行くための橋)

この橋を渡ると目の前に九条池があり、右斜め前に捨翠亭が池の奥のほうに建っている。

捨翠亭・・・寛政年間に建てられた数奇屋風の書院造で、茶会や歌会などに使われた)Photo_2

(画像・捨翠邸

そして、左には厳島神社がある。

厳島神社・・・御祭神は市杵島姫命、田心姫命、湍津姫命、祇園女御。平清盛がもともと摂津の国に勧請したものが、後世この地に移転された。ちなみに祇園女御とは清盛の母儀)

参拝を終え、一旦この橋を再び渡り入り口に戻り東へ数歩行くと九条池にかかる大きな橋が右手にある。Photo_3

(九條邸跡と九条池に架かる橋)

このあたりは九條邸跡になる。

九條邸跡・・・五摂家のひとつ、九條家の屋敷跡)

橋をわたっていると、かるがもがたわむれていたり、のんびりゆったりした時間が流れていた。Photo_6

Photo_5(画像・九条池のかるがもと、九条池の様子)

  そして、橋を途中まで渡り引き返すと目の前に、前回のブログで紹介した御所の建礼門が、堂々と構えていた。Photo_7

(画像・厳島神社辺りから見た建礼門

さらにそのほぼ右前方には、こちらも堂々と(?)美しい立派な大きな梅の木があり、人々の歩みを止めていた。

Photo_8 Photo_9

(画像・梅)

その梅を左に見ながら、東へ少し行き右(南)へ曲がりまっすぐ行くとそこには堺町御門がある。Photo_11

(画像・堺町御門)

この門も禁門の変の舞台となったそうだ。

再び御苑内に戻り、北を向いて歩いていると右斜め前に大きな木が見えてくる。

このあたりは鷹司邸跡となるが、碑がなければ全く気づくことなく通り過ぎそうなくらい普通の庭のようである。Photo_10

(画像・鷹司邸跡

しかし、本当に大きくて立派な木である。

鷹司邸跡・・・五摂家のひとつ、鷹司家の屋敷跡。禁門の変の折、長州藩士が邸内に入り火が放たれ、京都大火につながった)

この鷹司邸跡前を東へ歩いてすぐを左へ曲がっていくと前方に仙洞御所が見えてくる。

仙洞御所

それはいったい何なんだろう?

京都御所はよく聞くのだが・・・・

と思いながら調べてみると、京都御所が天皇が住んでいた場所なのに対し、仙洞御所とは退位した天皇(上皇や法皇)が住んでいた場所なのだそうだ。Photo_12

(画像・右手前方に仙洞御所が・・・)

恥ずかしながら初めて知った(*ノv`)

それから、仙洞御所西側に広がる林を抜け、ふたたび建礼門前の南北の道に出て、しばらく北へ歩くと右手に凝華洞跡がある。Photo_13

Photo_15 

(画像・御苑内の林と凝華洞跡)

大きな松が立派である。

さすが京都御苑、立派な木々が本当に多い。

凝華洞跡・・・ここに江戸時代、仙洞御所があったと言われる。幕末には、会津藩主松平容保が、ここを仮本陣にした)

Photo_16 (画像・しつこいようですが、凝華洞跡から再び建礼門を撮影しました)

そして、この凝華洞跡を右手に北へ歩くと交差点に出る。

そこを右(東)へ曲がり少し行くと、左手に有栖川宮邸跡がある。

ここもやはり碑がないと普通の庭のようであり、その面影は全くない。

有栖川宮邸跡・・・昔存在した宮家のひとつの屋敷跡)Photo_17

Photo (画像・有栖川宮邸跡有栖川宮邸跡付近で四葉のクローバーを発見!このあたりどうでもいいけどクローバー多いです)

*建春門~皇女和宮生誕の地~猿ヶ辻

その後有栖川宮邸跡前を東へ向かい、南北に横切る道を左(北)へ曲がり少し行くと、京都御所の建春門が左手にある。

Photo_2 (画像・建春門

こちらの門も立派な門である。

そしてさらにまっすぐ行くと、右手に松に生えた桜がある。

松から桜が生えている木があるのだ。Photo_5

(画像・松から桜)

枯れた黒松の中が空洞で、山桜がその中から生えてきただけなのだが、その黒松が平成8年に倒れ、現在に至る。

一度、桜の花が咲いたところを見てみたいものだ。

そして、さらに行くと、右手に学習院跡、その先の林の中には皇女和宮生誕の地がある。

Photo_6 Photo_8

Photo_9 

(画像順番に・学習院跡、松林の中に皇女和宮生誕の地皇女和宮生誕の地

どちらも松林の中にあるのだが、烏が異様に多かったのでもし行かれる方は気をつけたほうがいいかもしれない。

学習院跡・・・1842年幕府により建春門外に学習所の創設が認められ、孝明天皇在位中の1847年に開講し、公家をはじめ、御所に勤める役人たちとその指定に国学や歴史等を教える場となった)

皇女和宮生誕の地・・・孝明天皇の妹、和宮親子内親王誕生の地。和宮は幕末の公武合体政策のため、有栖川宮熾仁親王との婚約を破棄され、十四代徳川家茂へ嫁いだ)

さらにさらにまっすぐ行って、左手京都御所の角に猿ヶ辻がある。

ここは鬼門にあたるため、築地塀の角が取られている。

そこの屋根裏に鬼門を守るための烏帽子を被った木彫りの猿がいるのだが、この猿が夜になると付近をうろつきいたずらをしたため、金網を張って閉じ込められたと言われている。Photo

*祐井(中山邸跡)~桂宮邸跡~今出川御門

猿ヶ辻の右斜め前に梅がきれいにさいているなと思ったらそこは中山邸跡だった。Photo_2

(画像・中山邸跡)ここで明治天皇が誕生したそうだ。

祐宮(後の明治天皇)がここで4年間養育されたらしい。

敷地内の井戸が、祐宮が2歳の時に枯れ、新たに掘られた時、彼の名にちなんで祐井と名づけられたそうだ。

そして、祐井から西へ向いて歩き右手にある道を北上した。

するとその途中で桂宮邸跡がある。Photo_3

(画像・桂宮邸跡

桂宮邸跡・・・四世襲親王家のひとつの屋敷跡)

ここまで来ると、出口も見えてきて気分的にほっとした。

そして、まっすぐ歩いていくとようやく京都御苑の北にある今出川御門があり、ここを出て長い(?)御苑散策を終えた。

門を出ると斜め前には同志社大学の赤いレンガの建物をみて、いっきに現実に戻った感じがした。Photo_5

Photo_6 (画像・今出川御門同志社大学

以上、長々とした文章をお読みくださりありがとうございました。

花の咲く季節には、植物も楽しめるかと思いますし、御所内の見学も宮内庁へ予約すればできるようなので、興味のある方は是非散策してみてくださいませ

ありがとうございました

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