清盛七辨天(1)①和田神社
先日、2012年のNHK大河ドラマが「平清盛」に決まりましたね☆
私の住んでいる、兵庫県も源平にゆかりのある場所で、様々な史跡がいたるところに点在しています。
特に神戸市は、平清盛が都を京から半年の間だけ移していた場所であり、また彼が重要な港ととらえていた大輪田の泊(おおわだのとまり)がある地です。
(神戸も意外と歴史の街なんです。ガイドブックにはあまり載っていませんが)
その清盛が、この神戸の地に都を移すために、平家の氏神である広島の宮島の厳島神社から市杵嶋姫大神(弁天様と同一神とされる)を勧請(=仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること)。
このとき宮島にある7つの海岸にちなみ兵庫に7つの辨財天を祀ったのがはじまりです。
これは、「清盛七辨天」と言われています。
そこで、この神戸の「清盛七辨天」を数回にわたって、ご紹介していきたいと思います。
今回は、和田神社です。
(ちなみに、この和田神社、兵庫七福神のうちの辨財天に該当する神社でもあります。
兵庫七福神・・・江戸時代、庶民の間でブームとなった七福神めぐり。福を呼ぶ神様、7箇所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生(七つの災いから逃れ、7つの福徳が授かる)」と言われている。それが、この兵庫区でも巡礼できる)
~~~①和田神社(あんぜんべんてん)~~~
(最寄り駅:神戸市営地下鉄海岸線「和田岬駅」下車約2分)
元は、現在地から西南に約800メートルの海岸にあり、「蛭子(えびす)の森」と呼ばれていた。
平清盛が大輪田の泊まり修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より市杵嶋姫大神を勧請。
その後、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた社務所には、西国大名や勝海舟などが訪れた。
この神社の本殿の御祭神は、天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)、相殿には蛭子大神(えびす おおかみ)と先ほど説明にもあるように、市杵嶋姫大神(いちきしま ひめの おおかみ)が祀られている。
天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)が祀られるきっかけが、1658年、西宮市の東を流れる武庫川の氾濫により、岡太神社のご神体(天之御中主神)が、和田岬(和田神社があるところ)に流れ着いた。
そうして、この和田岬の地に天之御中主神が祀られるようになったとのこと。
では、蛭子大神(えびす おおかみ)が何故この地に祀られているかというと、神代の昔、淡路島から流れてきた蛭子大神が、本州で最初にたどり着いたのが、西宮(えびす神社の総本社がある)ではなく、この和田岬だからだそうだ。
だから、この付近を昔は「蛭子の森」と言ったそうだ。
境内社には、他にも興味深い多くの神々が祀られている。
七福神の残りの5人の神々や、台所の神、また弁天様のお使いとされる白い蛇も祀られている。
ちなみに、私は2週間連続で、この神社に参拝した折、本殿脇の七福神おみくじを参拝のたびにひいた。
すると、2回も大黒様が出てきた。
今、私には大黒様のエネルギーが必要なのだろうか。
皆様もよかったら是非^^
神社の中は、比較的きれいに手入れされていたが、夕方だったせいか参拝者は少なかった。
ちなみに、近所にはこんなところもあって観光できますので、載せておきますね☆
**三石神社**
神功皇后が遠征の帰路、和田岬の田に3個の石を置いて神占し、『廣田』、『生田』、『長田』、『住吉』の四神を祀った地だとも、また3個の石で安産を祈った場所とも言われている。
**元祖大師の名号石**
承元元(1207)年、法然上人が、土佐に流される途中、「南無阿弥陀仏」と彫った名号石。
この地に沸く水は、病を負った人が元気になるなど逸話があり、現在も多くの人が訪れている。
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