前回の続きで、神戸の須磨へ行った時の様子をご紹介いたします。
***須磨霊泉***
須磨寺を出て南へ歩いていくと、一番最初にある信号を左へ曲がるとすぐ足元に須磨の霊泉がある。
この水は、1938年の阪神大水害や、1995年の阪神・淡路大震災の時には、貴重な水源となり、多くの被災者を救ったことから「命の水」とも呼ばれている。
***平重衡(たいらのしげひら)とらわれの松跡***
須磨霊泉から信号のところへ戻り、南へ歩いていくと、山陽電鉄須磨寺駅に戻ってくる。
その駅の手前、というか同じ敷地内に平重衡(たいらのしげひら)とらわれの松跡がある。
平清盛の五男、平重衡(たいらのじげひら)が、源氏の軍勢を防ぎきれず、西方へ逃げたが生け捕りにされてしまった。
松の根に腰をおろし無念の涙を流す重衡(しげひら)を見た村人が、濁酒一杯差し上げたら、非常に喜んだそうだ。
それが、この地だったようだ。
***元宮長田神社・菅の井***
さらに、踏切を渡り、まっすぐ南下していくと大きな道に出る。
これは、旧西国街道なのだが、まずこの道の横断歩道を渡らず左へ曲がり歩くと、しばらくしたら神社が見えてくる。
この神社は、須磨の旧家、前田家が長田区の長田神社の氏子だった名残で建てられた神社なのだが、その脇にあった井戸は、菅原道真とゆかりのある井戸だ。
本当に菅原道真にゆかりのあるスポットは多い。
この井戸は、菅原道真公が左遷途中、前田家の井戸の水を汲んで差し上げると、多いに喜ばれたという「菅の井」という井戸で、敷地内にはほかに、「菅公手植えの松跡」もある。
(ただし、井戸自体は近年整備された感じだ)
***綱敷天満宮と諏訪神社***
元宮長田神社・菅の井から、元の信号のところへ戻り、横断歩道を渡ってさらにひたすら南下していく。
すると、右手に諏訪神社、左手に綱敷天満宮が見えてくる。
まず、右手の諏訪神社だが、ご祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)で大国主命の子供でもある。
この諏訪神社の諏訪がなまって、この地の名が須磨になったという一説も残っているそうだ。
次に、左手にある綱敷天満宮だが、ご祭神は天満宮という名前から菅原道真公というのは、すぐにおわかりいただけるかもしれない。
そして、この神社、私が参拝した時はちょうど梅が見ごろでとてもきれいだった。
また、この神社も須磨寺のように面白いものがたくさんある。
たとえば、成功の波や、時代の荒波にうまく乗り幸せになることを祈る祈願像があったり、何でも願いがかなう茄子の腰掛、菅公母子像、「北海道」名付けの親である松浦武四郎氏納めた宝鏡、菅公とゆかりのあるたくさんの小さな牛の群れ像などなど。


しかし、一番印象に残ったのは、やはり梅の美しさだ。
いい香りが漂っていた。
ところで、須磨寺から南へ南下し、この綱敷天満宮までの道を智慧の道というらしい。
須磨寺は弘法大師、綱敷天満宮は菅原道真という学問の神様をそれぞれおまつりしていて、その2箇所を結ぶ道であることからこの名が付いたそうだ。
よかったら、港町神戸の違った側面を楽しむ意味でも散策してみてはいかがだろう。
さて、次回この須磨を歩いた時の様子をご紹介するのは、この日に関しては最後になります。
しかも、ちょっとですが、よかったらお付き合いくださいませ^^
ありがとうございました。
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