風光明媚で日本史や文学にも登場してきた須磨を歩く①ちょっと変わったお寺、須磨寺
今日は、ちょっと前の話ですが、神戸の須磨へ行ったので、須磨をご紹介いたします。
須磨は、源氏物語や源平の戦いなど、物語や歴史に多く登場し、明治維新以降は神戸港の発達とともに外国人の邸宅が並ぶ風光明媚な土地だったそうです。
そんな、須磨から本日ご紹介するのは、須磨寺です。
関西の方なら、知る人ぞ知る、ちょっと変わったお寺になります。
どう変わっているかと言うと、参拝を楽しむ要素がいっぱいなのです。
***須磨寺***
まず、場所は山陽電鉄「須磨寺」駅の東の道を、つきあたりまで、ぐんぐん北上していくとある。
そして、寺の奥へ進んでいくと、左手に源平の庭がある。
これは、この地で繰り広げられた、一の谷の合戦での平敦盛と熊谷直実の戦いを像で再現したもの。
この悲しい戦いの話は、次のとおりだ。
一の谷の戦いも、終わりに近づいた頃、源氏側の熊谷直実は、何とか手柄をたてようと思っていたところ、沖の船へ向かう、平家側の平敦盛を発見し、
「敵に後姿を見せて逃げるのは卑怯。戻れ」
と呼び止めた。
すると、敦盛が馬首を返し、一騎打ちに応じ戻ってきた。
直実が、あっという間に敦盛をねじ伏せ、かぶとをかげて見ると、直実の息子と同じくらいの若い武将だった。
しかし、敦盛は名乗らず、
「首を取れ、自分は名のある公達だ。首を取って手柄にせよ」
の一点張り。
一方、直実は同じ年くらいの子のいる自分には、この武将の父の悲しさもわかるため、逃がそうとしたが、味方の軍勢が来てしまい、泣く泣く首を取った。
そんな、悲しい歴史の一場面を再現した源平の庭の前をすすみ、左の坂を上って行くと、わらべじぞう、ぶじかえる、七福神マニコロなどがある。
ぶじかえるは、驚きたいなら目を回し、借金をなくしたいなら、首を回すというもの。
七福神マニコロは、拝みながらマニコロをまわすといいらしい。
そして、本堂へ向かったのだが、本堂周辺に様々なものがある。
本堂の隣にある大師堂の、一願成就の大数珠や、かわいい(?)お地蔵さんの浄香、納経所のからくり時計などなど。
さらにさらに、神功皇后の竹や、ボタンを押していくと、メロディを奏でる「青葉の笛」、変わった顔の狛犬のようなもの、敦盛の首を洗ったという池などがある。
ところで、「青葉の笛」とは、敦盛が直実との合戦の前日に奏でていた笛で、須磨寺の宝物館に納められている。
(この宝物館には源氏ゆかりの宝物が多数展示されているらしい)
それだけではなく、まだまだ変わったものがある。
本堂に向かい、左方面の坂を進んでいくと、三重塔があり、四国八十八箇所のお砂踏み参りができるのだが、各札所の砂を実際にガラス越しに踏むことができる。
さらにその奥には、頭をなでると手が動く五猿、かわいいきんぽとん童子、石のこけし、あたまをなでるとメロディが流れるミーシャ熊、敦盛(首)塚 がある。
以上、須磨寺をご紹介してきたが、まだまだご紹介していない、見所(?)はあるので、興味をもたれた方は、よかったら参拝してみてはいかがでしょうか。
ところで、この須磨寺のあと、他にもまわったところがあるので、それについては次回ご紹介いたしますね。
お読みくださりありがとうございました。
(参考:須磨寺HP,『須磨楽学』(須磨区区民まちづくり会議発刊))
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