風光明媚な神戸・須磨にこんな源平ゆかりの地が・・・①
久しぶりに、今回も神戸の須磨へ行ったときのことをご紹介いたします。
ブログのタイトルが、「風光明媚な神戸・須磨にこんな源平ゆかりの地が・・・」となっていますが、昔この地で源平の戦いが繰り広げられたのだから、ゆかりの地があって当たり前ではあるのですが、私の中では神戸と言えば港町神戸というお洒落な外国チックなイメージが強く、歴史的にも大きな舞台となったことを、改めて知って行く中で、こんなにも有名な地だったんだ、教科書に出てきたあの歴史の舞台だったんだ、と少し驚きながら、この地を訪れました。
そんな感じで、簡単にしかお伝えできませんが、よかったら、お読みくださると嬉しいです。
***敦盛塚~源平史蹟戦の浜碑***
まず、山陽電鉄須磨浦公園駅の南の改札を出て、右のほうへ歩いていくと、駐車場がある。
その駐車場をぬけたところに「敦盛そば」という蕎麦屋さんがあるのだが、その東脇奥に敦盛塚がある。
あれ?敦盛塚って、どこかで聞いたような・・・・・
私のブログの前の須磨の記事を読んで下さった方に、以前にもどこかに敦盛塚があったことを覚えていてくださった方がいらっしゃるかも。
そう、須磨寺にも敦盛塚があるのだ。
どういうことかというと、須磨寺の敦盛塚には敦盛の首、ここの敦盛塚には胴体が納められているということらしい。
敦盛の悲しい話については、恐れ入りますが、過去のブログをお読みください。
そうして、敦盛塚に着いた後は、須磨浦公園駅方面へ引き返し、駅の前を通り過ぎまっすぐ歩いていくと、公園がある。
ここは須磨浦公園なのだが、ここでまさに源平の戦いのひとつ、一の谷の戦いが行われた。
一の谷の戦いは、源平合戦の中でも源義経の「鵯越の逆落とし」で有名だ。
一の谷の背後にそびえる山、鵯越は、当時猪、鹿、兎、狐の外は通れぬ険阻であると言われており、その山を馬で越え、そこから一の谷へ続く崖を馬で駆け下り平家に奇襲をかけたといわれている。
(この崖は、鵯越そのものだったとか、平家物語のなかの創作という説もある。ちなみに、鵯越については、過去の兵庫区のブログで書いているのでよかったらお読みくださると嬉しいです^^)
そんな戦いのあった、須磨浦公園だが公園自体は緩やかな坂があるのみ。
しかし、山のほうを見ると急な勾配になっている。
ちなみに・・・と思いこの公園東側にある一の谷川を見に行ったら、何のことはない整備されたごくごく普通の川であった。
今回は以上です。
よかったら、この続きもお読みくださると嬉しいです☆
ありがとうございました。
◆別荘地としての須磨◆
須磨は、昔から風光明媚で温暖な地として知られており、平安時代には貴族の憧れの場所だったそうです。
明治以降は家族や財界人の洋館の大邸宅が並び、西の別荘地として有名だったとか。
明治天皇の武庫離宮もこの須磨の地にあった。
(ちなみにこの武庫離宮、今では公園となっている。ここには、光源氏のモデルといわれる在原行平が月見をした場所とされる、月見の松跡もある。)
さらに、須磨海浜公園には住友別邸、須磨寺近くには迎賓館として今も使われている西尾邸、須磨離宮植物園には、山崎豊子著、木村拓也氏が主演のドラマ『華麗なる一族』の万俵家のモデルともなった岡崎邸が残っている。
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