清盛七辨天

2010年8月20日 (金)

清盛七辨天(6)⑨花隈厳島神社

いよいよ今回が、「清盛七辨天」ご紹介の最後となります。

清盛七辨天について、知ったのは最近なのですが、まさか神戸にこのような史跡があるとは思いもよりませんでした。

それも、歴史でちょっと習った福原京の位置が神戸だったとは。

神戸って港町で、北野や旧居留地のおしゃれなスポットだけでなく、趣ある歴史のスポットもたくさんあったんですね^^

よかったら、ご覧くださいね

~~~~~⑨花隈厳島神社(けんこうべんてん)~~~~~

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元は宇治川(神戸市)の左岸にあったが、明治の初年に神戸港の建設により、中央区栄町通に移り、昭和22年神戸中央郵便局の開局のため、現在の花隈町に鎮座した。

宇治川と国道2号線が交わるあたりが、弁天町となっているのは、神社があった名残。

兵庫県庁からも近く、また神戸高速鉄道「花隈」駅からも近くて便利

近くにはカフェやショップもあり、ちょっと足を伸ばせば元町とショッピングの合間の散歩にも最適。

御祭神は、もちろん市杵島姫大神Photo_10

以上です。

お読みくださり、本当にありがとうございました。

次は「兵庫七福神」をさくっと、ご紹介していきますので、よかったらご覧くださいね

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2010年8月19日 (木)

清盛七辨天(5)⑧氷室神社

前回の続きで、清盛七辨天をご紹介いたします。

今回は、氷室神社、6番目の弁天様になります。

~~~~~⑧氷室神社(れんあいべんてん)~~~~~

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日本書紀によると、今から1600年ほど前、仁徳天皇の異母兄・額田大仲彦(ぬかた おおなかひこ)は、この地で狩りをしていた時、穴倉を見つけた。

村長に「冬に取った氷を萱草で包んでおくと、夏になってもこの氷を使える」と聞き、天皇に献上したところ、たいそう喜ばれたことから、この地に仁徳天皇を祀って創建されたそうだ。

御祭神市杵島比売命(れんあいべんてん)大国主大神仁徳天皇宇迦之御魂神(稲荷神社)

この地は、古代からの逸話が多く残っていて、神社の拝殿に御由緒がおかれておるので、いただいて帰った。

源平の時代の平通盛と小宰相夫妻の別れとか、この地の西方の鵯(ひよどり)越を、源義経が一気に駆け下り平家を攻めた、とか。

また、古代の仁徳天皇の時代や南北朝時代の湊川合戦で楠木正成が訪れたなど、とにかくたくさんあるようだ。

歴史好きの方には、とにかくおすすめである。

興味のあるかたは、是非ご参拝くださいね。

(ただし、人通りは多くないので、夕方以降の女性のひとり歩きにはご注意くださいね)

(すみませんsweat01「清盛七辨天」の看板の画像撮ってません

この付近にある神社にはこんな神社があります

**夢野 熊野神社**

氷室神社の徒歩約十数分の南方にある。

御祭神は、国生み神話で有名な、イザナギイザナミ

平清盛が福原遷都にあたり皇城鎮護の神として、後白河法皇の崇敬の厚い紀州熊野権現を勧請した。

しかし、まもなく還幸(都を京都へ戻す)となったので、その後は地元夢野の淳民の産土神として親しまれた

境内には多くの、諸社があり、天照大御神、稲荷大神、豊受姫大神、大物主神、・・・・・・まだまだ多くの神が祀られている。

蛭子神社もありますよ

また、大正7年(1918年)の調査では、この付近の地下から土器に納められた貝の腕輪などの遺物が出土し、先史時代から人が住んでいた形跡がうかがえる。Photo_8

**湊川神社**

氷室神社の近くではないのですが、ちょうど楠木正成の名前が出てきたので、彼にゆかりのある神社をご紹介いたしますね。

湊川神社に祀られているのは、楠木正成

境内は広く、きれいに手入れが行き届いている感じだ。

境内に稲荷神社があり、倉稲魂命、猿田彦命、大宮女命も祀られている。

さらに、徳川光圀が元禄5年(1692年)に「助さん」で有名な佐々介三郎を遣わし建てさせた楠公墓碑もあり、この碑の文字は光圀のものだそうだ。

また、自刃の場が本殿西側にあり、墓碑とともに国の重要文化財史跡に認定されている。

この神社は、神戸高速鉄道「高速神戸」駅の北側に位置しているうえ、近くにJR神戸駅もあるため交通にも便利

また、地下道を通ればスムーズにハーバーランドにもいけるし、モザイクへも近い

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2010年8月18日 (水)

清盛七辨天(4)⑦兵庫厳島神社

前回のブログに引き続き、「清盛七辨天」をご紹介していきますね☆

今回は、兵庫厳島神社になります。

七辨天のうちの5番目の弁天様となります。

~~~~~⑦兵庫厳島神社(おしゃれべんてん)~~~~~

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御祭神は、もちろん市杵嶋姫大神

境内には稲荷神社もある。

この付近は、昔「渦輪(うずわ)」と呼ばれた湊川の旧川筋にあたり、さらに地下水も湧き出して渕のようになっていたといわれている。

清盛が兵庫津開発展のために、この神社を建立したと言われている。

また、清盛ゆかりの「外弁天」として伝えられる。

2月8日には、毎年針供養に多くの人が参拝する。

境内は、きれいに手入れされていた。

また、神戸高速鉄道「新開地」駅からも徒歩5分以内で、阪急電車、阪神電車、山陽電車、神戸電鉄で行くことができるので、比較的いきやすい。Photo_6

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2010年8月17日 (火)

清盛七辨天(3)③能福寺④来迎寺⑤済鱗寺⑥恵林寺

前回に引き続き、清盛七辨天」をご紹介していきますが、今回は番外編も含みます。

番外編というのは、「清盛七辨天」うち、前々回分と前回分から数えて3番目、4番目は、清盛七辨天」実行委員会にて番外編のような形で、弁天様ではなくそれぞれ平清盛、松王丸のゆかりの地があてられていますので、そのとおりご紹介いたしますね。

(つまり全部で9箇所ご紹介することとなります)

~~~~~③能福寺(平清盛)~~~~~

最澄(伝教大師)が唐留学の帰途、和田岬に上陸した際、ここに薬師如来(本尊・秘仏)を安置し、我国最初の教化霊場とした。5

 

境内には、奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏のひとつ、兵庫大仏がある。Photo

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昭和19年の金属回収により国へ供出したが、関係者の努力により、平成3年に再建。

また、この寺は平清盛ゆかりの寺で、養和元年(1161年)に清盛が京都で没したおり、初代住職・円実法眼が清盛の遺言にのっとり、遺骨を経ヶ島に持ち帰り、この寺の法華堂に収められている。

が、遺骨の行方には諸説あり、所在地は確定されていない。

ほかにも、兵庫県人ゆかりの、史跡が寺の中にいくつかある。

過去にも、この寺の大仏についてブログで書いているのでよかったらご覧ください☆http://fortuna-angel.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-9c88.html

(ちなみに、この和田神社、兵庫七福神のうちの毘沙門天に該当する神社でもあります。6

兵庫七福神・・・江戸時代、庶民の間でブームとなった七福神めぐり。福を呼ぶ神様、7箇所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生(七つの災いから逃れ、7つの福徳が授かる)」と言われている。それが、この兵庫区でも巡礼できる)

~~~~~④来迎寺(松王丸)~~~~~

Photo_3 松王丸って誰?

と、思われた方もいらっしゃるだろう。Photo_4

松王丸とは・・・・

平清盛が経ヶ島を築造する際、幾度かの暴風雨と大波に見舞われた大変な難工事だった。

清盛は旅人を人柱にし、海神の怒りをなだめようとしたが、17歳の松王丸が代わりに自分が人柱になると願い出て、経文を記した石と共に沈んだ。

寺の中には「松王小児入海」の碑と墓がある。

寺の中は、私が行ったときは夕方だったせいか、ひっそりとしていたが、きれいに手入れされている感じだった。

~~~~~⑤済鱗寺(べんきょうべんてん)~~~~~

明応2年(1493年)、真誉林光上人の開祖、「西連寺」と号していた。A

海中より出現の阿弥陀如来仏像を本尊とし、魚類済度をあわせ行ったため、済鱗寺と改めた。

その後五百羅漢像を建立するも、95年の阪神大震災でお寺は全壊、現在は仮の本堂に阿弥陀如来仏像をお祀りしている。

私が行ったときも、一見普通の民家であったため、迷いかけたが、しっかり仮のお堂はあった。

そのお堂の中に、弁天様も鎮座されておりました。

よかったらご参拝くださいね

この付近の参拝スポットは、次の⑥恵林寺(うんどうべんてん)とこちら・・・

**七宮神社**

御祭神大己貴命(おおなむちの みこと)で、南浜の和田神社に対し、兵庫北浜一体の産土神(うぶすながみ)

平清盛が、兵庫築港(経ヶ島)の大工事を無事に終えるに当たって、感謝のため社殿を建立し、自筆の南無七大明神の神号をまつち、金幣を奉納したといわれる。

また、高田屋嘉兵衛が、所有船「辰悦丸」など模型船を奉納し会場安全を祈願したことから、多くの廻船業者がこれに習っていたが、戦災により模型船や古文書は消失してしまった。

(ここも平清盛ゆかりの神社ですね。神戸も源平ゆかりの史跡が満載です)

~~~~~⑥恵林寺(うんどうべんてん)~~~~~

貞和2年(1346年)錦江省文禅師により開山された臨済宗のお寺で、福原西国三十三ヶ所の第二十八番札所。B

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境内には、平清盛が築港(経ヶ島)築造の際に、困難や水難克服を祈願して立てられた弁財天社があり、「波除(なみよけ)の弁天」と呼ばれていた。

私が行ったときは、ひっそりとしていた。

(お寺は夕方に閉まってしまうので、早めにいかれることをお勧めいたします)

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2010年8月16日 (月)

清盛七辨天(2)②真光寺

前回に引き続き、「清盛七辨天」の続きをご紹介いたします。

今回は、②真光寺(おんがくべんてん)です。

~~~②真光寺(おんがくべんてん)~~~

(ちなみに、この真光寺、兵庫七福神のうちの福禄寿に該当する寺でもあります。

兵庫七福神・・・江戸時代、庶民の間でブームとなった七福神めぐり。福を呼ぶ神様、7箇所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生(七つの災いから逃れ、7つの福徳が授かる)」と言われている。それが、この兵庫区でも巡礼できる)

時宗の改組、一遍上人がなくなったところに建立された寺である。

境内の左手に一遍上人の廟所があり、五輪塔は県の重要文化財に指定されている。

一遍上人は遊行上人と呼ばれ『おどり念仏』という独特の布教方法により、全国を遍歴したことで有名。

また、この寺の大日堂に清盛七辨天」のひとつの真野弁天があったと言われている。1

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わたしが、ここへ到着したのは夕方だったせいか、参拝者もなくひっそりとしていた。

が、おかげで、ゆっくりマイペースで散策できた。

ちなみに近所には、こんな観光スポットもあります。

**住吉神社と清盛塚・清盛像・琵琶塚**

「清盛塚」と呼ばれる石造十三重塔は、弘安9年(1286年)に建てられた供養塔で、昭和50年(1975年)に兵庫県の重要文化財に指定された。

この塔の下に、清盛公の遺骨が埋められているという説があったが、大正12年(1923年)、市電道路の拡幅工事のため、「琵琶塚」のある現在地へ移転された際に行われた発掘調査で、清盛の墓ではないことが明らかになった。

「琵琶塚」は、平家物語にも登場する琵琶の名手・平経正が琵琶と共に埋葬されたという伝承などから、「琵琶塚」とよばれている。

また、柳原義達作の清盛像がある。1_2

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さらに、同じ敷地内には住吉神社があるが、現在一部改築中のようだ。

そのほか、この近くには新川運河沿いにキャナルプロムナード兵庫城跡、運河の底に沈んだ、旧兵庫県庁跡がある。

   

 

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2010年8月15日 (日)

清盛七辨天(1)①和田神社

先日、2012年のNHK大河ドラマが「平清盛」に決まりましたね

私の住んでいる、兵庫県も源平にゆかりのある場所で、様々な史跡がいたるところに点在しています。

特に神戸市は、平清盛が都を京から半年の間だけ移していた場所であり、また彼が重要な港ととらえていた大輪田の泊(おおわだのとまり)がある地です。

神戸も意外と歴史の街なんです。ガイドブックにはあまり載っていませんがsweat01

その清盛が、この神戸の地に都を移すために、平家の氏神である広島の宮島の厳島神社から市杵嶋姫大神(弁天様と同一神とされる)を勧請(=仏の分身・分霊を他の地に移して祀ること)。

このとき宮島にある7つの海岸にちなみ兵庫に7つの辨財天を祀ったのがはじまりです。

これは、「清盛七辨天」と言われています。

そこで、この神戸の「清盛七辨天」を数回にわたって、ご紹介していきたいと思います。

今回は、和田神社です。

えびすさんともご縁のある地ですよPhoto_7

(ちなみに、この和田神社、兵庫七福神のうちの辨財天に該当する神社でもあります。Photo_6

兵庫七福神・・・江戸時代、庶民の間でブームとなった七福神めぐり。福を呼ぶ神様、7箇所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生(七つの災いから逃れ、7つの福徳が授かる)」と言われている。それが、この兵庫区でも巡礼できる)

~~~①和田神社(あんぜんべんてん)~~~

(最寄り駅:神戸市営地下鉄海岸線「和田岬駅」下車約2分)

元は、現在地から西南に約800メートルの海岸にあり、「蛭子(えびす)の森」と呼ばれていた。

平清盛が大輪田の泊まり修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より市杵嶋姫大神を勧請。

その後、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた社務所には、西国大名や勝海舟などが訪れた。

この神社の本殿の御祭神は、天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)、相殿には蛭子大神(えびす おおかみ)と先ほど説明にもあるように、市杵嶋姫大神(いちきしま ひめの おおかみ)が祀られている。

天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)が祀られるきっかけが、1658年、西宮市の東を流れる武庫川の氾濫により、岡太神社のご神体(天之御中主神)が、和田岬(和田神社があるところ)に流れ着いた

そうして、この和田岬の地に天之御中主神が祀られるようになったとのこと。

では、蛭子大神(えびす おおかみ)が何故この地に祀られているかというと、神代の昔、淡路島から流れてきた蛭子大神が、本州で最初にたどり着いたのが、西宮(えびす神社の総本社がある)ではなく、この和田岬だからだそうだ。

だから、この付近を昔は「蛭子の森」と言ったそうだ。Photo_8

境内社には、他にも興味深い多くの神々が祀られている。

七福神の残りの5人の神々や、台所の神、また弁天様のお使いとされる白い蛇も祀られている

興味のある方は、是非じっくり参拝してみてはいかがだろうか。Photo_2

Photo_3   

ちなみに、私は2週間連続で、この神社に参拝した折、本殿脇の七福神おみくじを参拝のたびにひいた。

すると、2回も大黒様が出てきた。

今、私には大黒様のエネルギーが必要なのだろうか。

皆様もよかったら是非^^

神社の中は、比較的きれいに手入れされていたが、夕方だったせいか参拝者は少なかった。

ちなみに、近所にはこんなところもあって観光できますので、載せておきますね

**三石神社**

神功皇后が遠征の帰路、和田岬の田に3個の石を置いて神占し、『廣田』、『生田』、『長田』、『住吉』の四神を祀った地だとも、また3個の石で安産を祈った場所とも言われている。Photo_3

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**元祖大師の名号石**

承元元(1207)年、法然上人が、土佐に流される途中、「南無阿弥陀仏」と彫った名号石。

この地に沸く水は、病を負った人が元気になるなど逸話があり、現在も多くの人が訪れている。Photo

Photo_2 

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