兵庫七福神

2010年8月25日 (水)

兵庫七福神(3)⑥柳原蛭子神社(えびす)⑦福海寺(大黒天)

前回に引き続き、「兵庫七福神」をご紹介いたします。

今回で最後となりますが、よくペアで出てこられるお二人です。

場所も、向かい同士という近さ。

参拝にも便利ですね。

どちらも、JR「兵庫」駅から、徒歩約5分、阪急、阪神、山陽、神鉄「新開地」駅から徒歩十数分という便利な場所にあります。

~~~⑥柳原蛭子神社(えびす)~~~

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えびす・・・蛭子様は、右手に釣竿、左手に鯛を抱えている。はじめはその姿から想像出来るように海の神だった。海のかなたから渡ってきた豊漁をもたらす神として、また航海安全の神として港の近くに多く祀られていた。港は船の出入りによって商売が繁栄するので、商売繁盛の神としても有名になった)

兵庫の地で、福の神として古くから崇敬されてきた神社のひとつ。

現在では、「柳原のえべっさん」として、毎年1月9日~11日にかけて行われる「十日戎大祭」にはたくさんの人々が参拝に訪れる。

また、境内の傍らには、西国街道から兵庫に入る西の玄関口であった「柳原惣門」をしのばせる碑が立っている。

御祭神は、蛭子大神大物主大神

境内には、本殿(2010年12月まで改築中)、稲荷神社、水神社、えびす像などがある

こじんまりとしているが、なんとなくほのぼのした空気が流れている気がする。

(すみませんsweat01神社の画像撮り忘れました)

~~~⑦福海寺(大黒天)~~~

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大黒天・・・俵に乗っているのは、「毎日ご飯を供えてお参りすれば、一生食に不自由はない」というお告げがあった話から結びついたそうだ。食堂や台所に祀られる事が多く、家の大黒柱は大黒様が天・地・人を守ることからきている)

この寺は、釈迦如来を本尊とする寺で、建武年中(1334~1335年)に足利尊氏が在庵円有に開かせたと言われている。

現在では、大黒天を祀り、毎年1月9日~11日には「大黒祭」が催され、向かいの柳原蛭子神社とともに参詣客で賑わう。

境内は、新しいせいか、きれいで、庭もきれいに整えられていた。

また、平清盛が、青葉から滴をたらし霊験あらたかだった「時雨の松」を好んでいたとのことから、碑が残っている。

(松はもうない)Photo_8

以上となります。

このほかにも、神戸には歴史的史跡がたくさんありますので、またこのブログでご紹介していきますね

興味のある方は、よかったらご覧くださいね^^

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2010年8月24日 (火)

兵庫七福神(2)③真光寺(福禄寿)④能福寺(毘沙門天)⑤柳原天神社(布袋)

前回に引き続き、「兵庫七福神」をご紹介していきますね

この7箇所は、1日で余裕でまわることができます^^

よかったら、一度まわってみられてはいかがでしょうか。

~~~③真光寺(福禄寿)~~~

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「清盛七辨天」では、②おんがくべんてんにあたる)

福禄寿・・・もともとは中国、道教の神。人の命を司る南極星の神。鶴と亀を愛した老人の神で、年齢は数千歳と言われ、長寿と人望にご利益がある。福は幸福、禄は高給、寿葉長寿につながる)

時宗の改組、一遍上人がなくなったところに建立された寺である。4_2

境内の左手に一遍上人の廟所があり、五輪塔は県の重要文化財に指定されている。

一遍上人は遊行上人と呼ばれ『おどり念仏』という独特の布教方法により、全国を遍歴したことで有名。

詳細は、コチラをご覧くださいね☆↓

http://fortuna-angel.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-1b22.html

~~~④能福寺(毘沙門天)~~~

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「清盛七辨天」では、③平清盛にあたる)

毘沙門天・・・四天王、および十二天の一人で、よろいを着ているところに特徴がある。多聞天とも呼ばれる。漢字で書くと全く別の神様のようになるが、意味はすべてのことを一切聞き漏らさない知恵ものと言う意味。七福神の中では、勝運の神で、仏法を守護し道徳を授ける神)

最澄(伝教大師)が唐留学の帰途、和田岬に上陸した際、ここに薬師如来(本尊・秘仏)を安置し、我国最初の教化霊場とした。 

境内には、奈良、鎌倉に並ぶ日本三大仏のひとつ(と言われる)、兵庫大仏がある。Photo

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昭和19年の金属回収により国へ供出したが、関係者の努力により、平成3年に再建。

また、この寺は平清盛ゆかりの寺で、養和元年(1161年)に清盛が京都で没したおり、初代住職・円実法眼が清盛の遺言にのっとり、遺骨を経ヶ島に持ち帰り、この寺の法華堂に収められている。

~~~⑤柳原天神社(布袋)~~~

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布袋・・・中国の唐代末頃に実在したお坊さん。比較的小柄でおなかが出て、敗れた衣を着て、生活に必要なものが全て入った大きな袋をいつも持っていた。占いや天候を予知することが上手で、雪の中に寝ても体が濡れなかったという話がある)

菅原道真ゆかりの神社

延喜元年(901)道真は左遷先である大宰府への途次、暴風雨を避けるため和田岬に一度上陸したといわれ、その所以から彼の死後、大宰府より分霊を受けて祀ったのがはじまり。

場所はJR兵庫駅から徒歩約10分のところに位置する。

境内には七福神の石造も祀られている。

わたしが行ったときは、真夏の暑い真昼間だったせいか、参拝客は私一人だったため、ゆっくりマイペースで参拝できた☆Photo_5

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2010年8月23日 (月)

兵庫七福神(1)①和田神社(弁財天)②薬仙寺(寿老神)

ちょっと前のブログ「清盛七辨天」の最後でお伝えしたとおり、今回から「兵庫七福神」についてご紹介いたします。

ただ、「清盛七辨天」とかぶる場所がありますので、そこは簡単にさくっと説明していきたいと思います。

よかったらご覧くださいね

神戸は意外に歴史の街ということで、歴史上の有名な人物にゆかりのある場所もでてきます^^

兵庫七福神・・・江戸時代、庶民の間でブームとなった七福神めぐり。福を呼ぶ神様、7箇所を巡礼することで、「七難即滅・七福即生(七つの災いから逃れ、7つの福徳が授かる)」と言われている。それが、この兵庫区でも巡礼できる)

~~~①和田神社(弁財天)~~~

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「清盛七辨天」では①あんぜんべんてん)Photo_7

弁財天・・・元は、インドの古代神話に登場するサラスパティ(水を持つもの)という神様。海や池、川など水のあるところに多く祀られる。水の流れは音楽と結びつき、芸能の神様としても信仰されている)

元は、現在地から西南に約800メートルの海岸にあり、「蛭子(えびす)の森」と呼ばれていた。

平清盛が大輪田の泊まり修築の際、事業の無事と将来の繁栄を祈願し安芸の宮島より市杵嶋姫大神を勧請。

その後、南浜総氏神と広く人々に親しまれ、隣松院と呼ばれた社務所には、西国大名や勝海舟などが訪れた。

この神社の本殿の御祭神は、天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)、相殿には蛭子大神(えびす おおかみ)と先ほど説明にもあるように、市杵嶋姫大神(いちきしま ひめの おおかみ)が祀られている。

詳細は、コチラをご覧くださいね^^↓

http://fortuna-angel.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/post-dec9.htmlPhoto_8

~~~②薬仙寺(寿老神)~~~

寿老神・・・寿老神は一般的には寿老人と書く。寿星の化身、又は老子の化身と言われ、その姿は長い白髭、長い頭の仙人姿で、福禄寿と同体異名と言う説もある。福禄寿の鶴亀に対し、鹿を伴っている姿が多いようだ。この鹿は千年以上生きている鹿で、その肉を食べると2千才の長寿を得ると言う話も。)Photo

この寺は、天平18年(746年)に行基が開いたとされる。

元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が配流先の隠岐を脱出し、福厳寺に身を寄せた折に、薬水を献上したことから、薬仙寺の名を賜ったとも伝えられる。Photo_2

この薬水の霊泉も境内にて見ることが出来る。

また、境内には平清盛が後白河法皇を幽閉したといわれる「萱の御所」跡の碑などがある。

私が行った時には、参拝者は少なかったが、思ったより広く、きれいだった。Photo_3

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