子午線の街、兵庫県明石市は、明石焼きなどが有名ですが、かなりな歴史の街でもあるようで、知らなかったことを恥ずかしく思いながらも、先日お伝えしたとおり、ご紹介したいと思います。
今回は人丸前駅から月照寺までをさくっと簡単にご紹介いたします。
*人丸前駅*
山陽電鉄、人丸前駅。
ホームに、子午線の街らしく子午線のラインがあります。
*明石天文科学館へ*
人丸前駅の西側道路を、北へ向かう途中に、両馬川合戦跡碑や、馬塚碑があります。
また、この道路を南下していくと、腕塚神社や平忠度のなきがらを埋めた忠度塚があります。
つまり、このあたりでも源平の合戦が行われたということです。
(関西、特に兵庫県から下関にかけては、当たり前ですが源平合戦の跡地が本当に多いですね^^;)
*明石天文科学館*
人丸前駅の西側道路を、約5分歩いていくと、左手に明石天文科学館があります。
プラネタリウムや、様々な展示物、時計などが楽しめます。
また、この科学館、日本標準時子午線135度の真上に建っています。
私が行ったときは、ちょうど夏休みと重なっていたせいか、子供連れの家族が多かったです。
お子様が、科学を楽しく学ぶのにもいいスポットかもしれません☆
*柿本神社*
明石天文科学館の東の道路を北へ進んでいくとすぐに、左手に柿本神社があります。
(ちなみに、明石天文科学館の東の道路をまっすぐ北上すると、菅公旅次遺跡、つまり菅原道真公が大宰府へ流される途中で立ち寄った跡に行きます。関西は彼の足跡のようなところもいっぱいあります。例えば、大阪梅田近くの南森町周辺は、まるで菅原村と言ってもいいくらい菅原道真公が大宰府へ行く前に立ち寄った旧跡が集まっています)
この神社は、名前から想像が付くと思いますが、持統天皇から文武天皇の時代(687~707年)に活躍した歌人、柿本人麻呂を祀った神社。
彼の歌は、万葉集にも納められているのですが、彼の代表作には明石海峡周辺に関する歌もいくつかあるらしいです。
地元では、「人丸さん」と呼ばれていることからわかるように、前述した「人丸前駅」と駅名は、この神社からきているようです。
元和6年(1620年)、明石城主の小笠原忠政が人麻呂を歌聖として崇敬し、その縁により人麻呂とも縁の深いこの土地に祀ったのがこの神社の始まりらしいです。
彼は愛妻家であったことからも、縁結びの神様として親しまれているようですよ^^
*月照寺*
柿本神社の西にあるお寺が、月照寺。
もともと、空海が楊柳寺という寺を建て、途中月照寺と名前を改めたものが、明石城築城に際し、今の場所に柿本神社とともに移ったそうです。
境内には、柿本人麻呂の歌碑もあります。
以上、歴史の好きな方にも、ちょっとした観光スポットとしてオススメかと思います。
今は、寒い季節ではありますが、興味ある方や、初詣などによかったら是非☆
この続きは、また近いうちにアップしますので、よかったら遊びに来てくださいね☆
お読みくださりありがとうございました☆
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