子午線の街、明石は何の街?

2011年7月12日 (火)

光源氏に宮本武蔵、いろいろ詰まった明石(明石駅南西あたりを中心に)☆⑤善楽寺

(前回の続き)

***善楽寺***

無量光寺前に伸びる東西の道を東へ向かうとすぐ左手に、善楽寺のなかの戒光院がある。

ここには、平清盛の供養塔、Photo 「光源氏古跡明石の浦の浜の松」の石碑、 Photo_3Photo_2 明石入道の碑がある。

さらに、善楽寺東側の道沿いに入り口がある善楽寺のなかの円珠院には、宮本武蔵が作庭したといわれる枯山水の一部がある。Photo_4

こんな感じで、もう少し多くの人に知られていてもおかしくないような歴史的な名所が明石には地味に多くあり、何となくもったいない気がする。Photo_5

以上、5回にわたり明石駅南西あたりの名所をご紹介してきたが、明石にはまだまだ見所がたくさんある。

また、機会があれば散策してみたいと思うので、またその時はよかったらお読みいただけると嬉しいです。

では、本当にお読みくださりありがとうございました。

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2011年7月11日 (月)

光源氏に宮本武蔵、いろいろ詰まった明石(明石駅南西あたりを中心に)☆④無量光寺と蔦の細道

(前回の続き)

***無量光寺と蔦の細道***

前回ご紹介した、若宮神社の北側に無量光寺がある。

行き方は、若宮神社前の道を東へ向かって歩き一番最初の道を左折していけば左手にある。

残念なことに、この日私が行った時寺はすでに閉まっていて参拝できなかった。

しかし、この寺は光源氏ゆかりの寺で、光源氏が月見をしたといわれている。

(・・と言っても、「源氏物語は」あくまでもフィクションです)

そして、この寺へ行くために通ってきた細道を蔦の細道と言い、これまた光源氏が明石の上の住む岡辺の館へ通った時の通路とされている。Photo_4 Photo_5

光源氏ファンの方、よかったら是非明石を散策されてみてはいかがでしょうか。

他にも見所はいっぱいあるようですよ^^

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2011年7月10日 (日)

光源氏に宮本武蔵、いろいろ詰まった明石(明石駅南西あたりを中心に)☆③伊弉冊(いざなみ)神社~伊弉諾(いざなぎ)神社

(前回の続き)

***伊弉冊(いざなみ)神社~伊弉諾(いざなぎ)神社***

本立寺東の道路を南下し、少し大きめの道に出たら右折してしばらく行くと左手に伊弉冊(いざなみ)神社がある。

神社名からも分かるように、御祭神は伊弉冊(いざなみ)Photo_2

綺麗に手入れされ、大切にされているのがうかがえる。

そして、この神社の北側の道を西へ進むと、右手にこじんまりとした若宮神社があり、さらに進むと左手に伊弉諾(いざなぎ)神社がある。

先ほどの神社の御祭神、伊弉冊(いざなみ)の夫、伊弉諾(いざなぎ)が御祭神だ。Photo_3

こちらの神社は、伊弉冊(いざなみ)神社よりもひっそりと簡素な感じの神社であった。

ところで、途中にあった若宮神社だが、なんとなくこの二つの神社、神話に描かれているように、離れてしまった伊弉冊(いざなみ)伊弉諾(いざなぎ)を結び付けているような気がした。

ちなみに、この二柱は「国産み」、「神産み」の神として有名で、この二柱から、のちにえびす神となる蛭子も生まれている。

(かわいそうなことに、この蛭子は不具の子として生まれたため海に流されてしまうのだが)

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2011年7月 9日 (土)

光源氏に宮本武蔵、いろいろ詰まった明石(明石駅南西あたりを中心に)☆②本立寺

(前回の続き)

***本立寺***

岩屋神社の西側の道路を北上し、親和会館手前の道を左折しまっすぐ行くと突き当たりに本立寺がある。

淡路の本妙寺、日種上人が以前ここにあった寺の名前を復して本立寺とした。

境内には「浜の妙見さん」と呼ばれる神社もあるユニークなお寺で、とても綺麗に手入れされているのが伝わってきた。

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光源氏に宮本武蔵、いろいろ詰まった明石(明石駅南西あたりを中心に)☆①明石・岩屋神社

大変ご無沙汰して申しわけありません。

只今、私、来年に向けて大変化の時を迎えているようで、古いものをどんどん手放す作業も同時にやってきており、なかなか更新できずにいます。

でも、書きたいネタはいっぱいたまっているので、少しずつ更新させていただくことにしました。

ということで、しばらくは兵庫県明石についてです。

以前にもご紹介した明石ですが、さらに新たな内容となっています。

(ただし、私が行ったのは確か今年の2月!という古い情報で申しわけありません)

ということで、よかったらお付き合いくださいませ☆

***岩屋神社***

場所は、明石浦漁港の北方、フェリー乗り場の前の道を西へ歩いていった材木町にある。

古くから産土神とされ、江戸時代には城下町の鎮守として信仰を集めた。

ご祭神は、恵比寿。

まさに、漁港の街の神社らしい。

Photo

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2011年2月11日 (金)

梅もほころぶ菅原道真ゆかりの地が明石にも☆兵庫・明石・御厨(みくりや)神社

明石は、明石焼きや子午線だけでなく、源平、宮本武蔵、源氏物語でも有名な土地です。

しかし、やはり、というか、もちろんというか、ここにも、菅原道真公(菅公)ゆかりの地はありました。

彼が、今の福岡太宰府に左遷される途中に立ち寄った場所が、まるで彼の足跡のように神社や史跡として関西には多く残っています。

その何箇所かが明石にもあり、その中のひとつをご紹介いたします。

御厨(みくりや)神社Photo

菅公が、左遷の途中この地に立ち寄ったことから天満宮を勧請したそうです。

場所は、山陽電鉄・東二見駅の南の道路を西へ10分弱歩いた右手(道路の北側)にあります。

ほかにご祭神は、応神天皇、神功皇后、素蓋鳴命(牛頭天王)です。

私がここを参拝したときは、子供たちが元気に走り回り、かくれんぼをして遊んでいました。

絵馬には、リラックマの絵馬が!!!

か~わい~

この神社のHPによると、お守りにもリラックマをはじめ、キティちゃんやドラゴンボールなど多くのお守りなどがあるようです☆

(お子様に喜ばれるかもしれません☆)

また、本殿の裏手には梅がほころび、それはそれはいい香りで、しばらく動きたくなかったほどです。

(ちなみに私が参拝したのは、2011年2月9日でした☆今年は、梅が咲くのは早いのでしょうか)Photo_2 Photo_3

他の境内社は、以下のとおりです。

高良神社(武内宿称、大年神)大年神は大正8年6月西二見字野々口より合祀

霊牛神社(渡会春彦) 

金刀比羅神社(大物主命) 

秋葉神社(武甕槌命)

朝日神社(天照大神) 

夕日神社(豊受大神) 由加神社(手置帆負命)

稲荷神社(宇迦能魂命 大山祗命)大正2年2月合祀

~北辰神社~

ところで、御厨神社のすぐ北側の小道を行くと、北辰神社があります。Photo_4

これは、御厨神社の兼務神社なのですが、ご祭神は天之御中主神(あめの みなかの ぬしのかみ)で、日本神話では宇宙の神、一番最初に現れた神とされています。

小さなお社ではありますが、かなりなお供えをされていて、大切にされているんだなと感じました^^

~君貢神社

そして、この御厨神社の兼務神社には、ほかに菅公を祀った神社が2社あるのですが、それとは別に菅公ゆかりの神社があり、君貢神社といいます。

この君貢神社は、御厨神社から少し歩くのですが、海のそばにあり 神社からは海が見渡せます。

ご祭神は伊弉諾尊(いざなぎのみこと)です。

では、菅公とどう関係があるのかというと、菅公がこの地に立ち寄った際、仮寝をしたことから、この地が「菅公仮寝の岡」と言われ、この仮寝の場所に植えた松を「仮寝の松」と言われているそうです。

現在は、石碑が残っているが、この地が御厨神社の元宮とも言われています。

以上、長々とお読みくださりありがとうございます☆

しかし、梅の香りも楽しめる季節となりました^^

暖かい春が待ち遠しい今日この頃です☆

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2010年12月31日 (金)

子午線の街、明石は武蔵の街?源平の街?③(明石神社から明石城まで)

前回に引き続き、山陽電鉄明石駅と人丸前駅間の北側にある、名所をお伝えいたします☆

今回が最後となります☆

*明石市立文化博物館*

明石神社前の道を西へ進むと、道路に出ます。

その目の前には、明石市市立文化博物館があります。

こじんまりしている博物館ですが、歴史が好きな人には、楽しめる博物館だと思います。

200万年まえには、アカシゾウという像がいたとか、明石原人の骨が発見されたとか古代においても歴史を楽しめる街だということが、わかりました。

*明石城*

明石市立文化博物館の西側のすぐそばは、明石城です。

この中に、「宮本武蔵の庭」がありますが、この庭は宮本武蔵が造った庭ではなく、彼にちなんだ庭のようです。

城内は、けっこうのんびりした雰囲気のところで、絵を描いているかた、散歩をしている方など、一般客それぞれが思い思いにのんびり過ごしていました。

以上です。

かなり簡単にお伝えいたしましたが、興味のある方は是非散策してみてくださいね☆

何か発見があるかもしれません☆

(発見があったら教えていただけると嬉しいです^^)

お読みくださり、ありがとうございました☆

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2010年12月30日 (木)

子午線の街、明石は武蔵の街?源平の街?②(月照寺から明石神社まで)

前回に引き続き、山陽電鉄明石駅と人丸前駅間の北側にある、名所をお伝えいたします☆

*本松寺*

(前回ご紹介した月照寺から)

月照寺の前の道を、階段をおり西へ向かって進んでいきますと、本松寺が目の前にあります。

このお寺は、豊臣秀吉の家臣、藤井与次兵衛勝介が建立したものが、現在地に移転してきたものらしいです。

このお寺は、宮本武蔵の作と言われる庭園で有名だそうなのですが、残念なことに、私が行ったときはお盆だったせいか見ることができませんでした。

*妙見宮*

本松寺の西の道を北へ行くと、本松寺の北西に妙見宮があります。

この妙見宮は、本松寺と一緒に管理されているようで、宝暦11年(1761年)に鎮守として作られたそうです。

石田光成の重臣、島左近にあやかり、明石藩主の武士たちが、信仰したとか。

なんとなく不思議な雰囲気のお宮でした☆Photo

*明石神社*

妙見宮の前の道(時の道)の坂を西へ歩いていき、坂を上りきったところあたりを右折、しばらく行くと左手に明石神社があります。

この神社のご祭神は、徳川家康、松平直明、松平直常、豊受大神、金山彦大神だそうです。

阪神・淡路大震災で、半壊していた社殿などが、しばらく手付かずのままにされていたそうですが、私が行ったときは拝殿は綺麗に建て直されており、(一見神社かわからない)、拝殿前では、また別の建物の工事が行われていました。Photo_2

以上、簡単にご紹介いたしましたが、様々な時代の史跡がびっしりと詰まっている感じがしました。

今回ご紹介している、山陽電鉄明石駅から人丸前駅の北側の名所は、明石市内の名所のほんの一部にしか過ぎません。

私が明石市を訪れる前は、明石市は明石焼きの街としか認識していなかったため、こんなに中身の濃い街だと知ってちょっとびっくりしましたし、あまり人に知られていないのももったいないと思いました。

ほかにも、知人に教わったオススメ漁場スポットや、神社など機会があったらお伝えしていきますね☆

ということで、次回に続きますのでよかったら読んでやってください☆

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2010年12月29日 (水)

子午線の街、明石は武蔵の街?源平の街?①(人丸前駅から月照寺)

子午線の街、兵庫県明石市は、明石焼きなどが有名ですが、かなりな歴史の街でもあるようで、知らなかったことを恥ずかしく思いながらも、先日お伝えしたとおり、ご紹介したいと思います。

今回は人丸前駅から月照寺までをさくっと簡単にご紹介いたします。

*人丸前駅*

山陽電鉄、人丸前駅。

ホームに、子午線の街らしく子午線のラインがあります。

*明石天文科学館へ*

人丸前駅の西側道路を、北へ向かう途中に、両馬川合戦跡碑や、馬塚碑があります。

また、この道路を南下していくと、腕塚神社や平忠度のなきがらを埋めた忠度塚があります。

つまり、このあたりでも源平の合戦が行われたということです。

(関西、特に兵庫県から下関にかけては、当たり前ですが源平合戦の跡地が本当に多いですね^^;)

*明石天文科学館*

人丸前駅の西側道路を、約5分歩いていくと、左手に明石天文科学館があります。

プラネタリウムや、様々な展示物、時計などが楽しめます。

また、この科学館、日本標準時子午線135度の真上に建っています。

私が行ったときは、ちょうど夏休みと重なっていたせいか、子供連れの家族が多かったです。

お子様が、科学を楽しく学ぶのにもいいスポットかもしれません☆100811_155954 

*柿本神社*

明石天文科学館の東の道路を北へ進んでいくとすぐに、左手に柿本神社があります。

(ちなみに、明石天文科学館の東の道路をまっすぐ北上すると、菅公旅次遺跡、つまり菅原道真公が大宰府へ流される途中で立ち寄った跡に行きます。関西は彼の足跡のようなところもいっぱいあります。例えば、大阪梅田近くの南森町周辺は、まるで菅原村と言ってもいいくらい菅原道真公が大宰府へ行く前に立ち寄った旧跡が集まっています)

この神社は、名前から想像が付くと思いますが、持統天皇から文武天皇の時代(687~707年)に活躍した歌人、柿本人麻呂を祀った神社。

彼の歌は、万葉集にも納められているのですが、彼の代表作には明石海峡周辺に関する歌もいくつかあるらしいです。

地元では、「人丸さん」と呼ばれていることからわかるように、前述した「人丸前駅」と駅名は、この神社からきているようです。

元和6年(1620年)、明石城主の小笠原忠政が人麻呂を歌聖として崇敬し、その縁により人麻呂とも縁の深いこの土地に祀ったのがこの神社の始まりらしいです。

彼は愛妻家であったことからも、縁結びの神様として親しまれているようですよ^^Photo_2 100811_160005

*月照寺*

柿本神社の西にあるお寺が、月照寺

もともと、空海が楊柳寺という寺を建て、途中月照寺と名前を改めたものが、明石城築城に際し、今の場所に柿本神社とともに移ったそうです。

境内には、柿本人麻呂の歌碑もあります。Photo

以上、歴史の好きな方にも、ちょっとした観光スポットとしてオススメかと思います。

今は、寒い季節ではありますが、興味ある方や、初詣などによかったら是非☆

この続きは、また近いうちにアップしますので、よかったら遊びに来てくださいね☆

お読みくださりありがとうございました☆

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2010年12月18日 (土)

子午線の街、明石は何の街?

先日、といっても夏の話ですが、明石市(兵庫県)へ行ってきました。

行くまでは、子午線(日本標準時)と明石焼きの町、としか認識してなかったのですが、ちょっと市内をまわっているうちに、結構この地も歴史的な街であったのにびっくり!?

例えば、以前のブログでもご紹介しましたが、宮本武蔵生誕の地とも言われていたりします。

また、明石の地は、源氏物語の舞台としてもほんの少し登場いたします。

しかし、ほかにも、いろいろありまして、今後このブログにてご紹介していきますね☆

よかったら、是非読んでやってくださいませ^^

今日はひとまずこのへんで失礼いたします☆

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